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地域材の担い手たちを育成する試み

大工塾ネットワーク 丹呉明恭氏に聞く

 産直住宅の実践を行ってきた設計者が、その経験を踏まえて始めた「大工塾」。
若手大工たちを中心に、卒業生は既に100人を超える。
 ここでは主宰者の丹呉明恭氏のレポートを元に、大工塾の活動とその可能性を考える。
 


 

大工塾の始まり

 大工塾は、1998年から大工を中心にした勉強会として始まった。大工塾の前身は丹呉明恭建築設計事務所による「建前学校」。若い大工に実際に建前に参加してもらって木造住宅を学んでもらう試みだったが、もっと体系的に勉強したいという要望が強くなって始めたのが大工塾。
 以後、丹呉明恭建築設計事務所と山辺構造設計事務所との共同の主催という形で続けてきた。

 

大工塾の内容

 大工塾の講義は、月1回(第4土日の連続講義)で1年間12回が1コース。これまでに5期目が終了して、参加者は全部で106人、その内大工が79人、他は設計者や大工以外の職種。
 大工塾という名称から大工技術を教えているように思われるが、主なテーマは、今の社会の中でどのような大工を目指すのかを考えようとするもので、大工技術の講義はない。主な講義内容は、木構造・環境問題・大工の生き残り方で、具体的かつ実践的な講義がモットー。
 構造の講義は現場で使える構造力学を目指して、実大の壁の水平加力試験・仕口の引っ張り試験など、塾生が製作した実大の試験体を実験することで、目で見て体験して構造力学を理解してもらう。実大壁の試験では実際の仕事で使っている壁の耐力を知りたいという要求に応えて、塾生が持ち込んだ壁の実験も積極的に行っている。
 環境の講義では、実際に山に行っての林業体験、中間処理場の見学、合併浄化槽の見学、等々常に現場に行くことを基本としている。また、いろいろな工務店経営者の体験を聞く機会も増えている。

国産材への志向

 塾生のそのような傾向は、国産材の使用に向かうきっかけになるもので、山との関係性をどのように作るのかという共通の問題を作り出している。

中間領域の担い手として

 かつて川上から川下までの流域のネットワークとして、秋田県の二ツ井町の人たちと作った「モクネット」という産直システムは、埼玉県の生活クラブ生協の組合員が川下、二ツ井町が秋田スギを供給する川上で、そのネットワークを作る運動だったが、その中間を担うとされた設計事務所も工務店も実は川下の存在だった。モクネットの10年に及ぶ活動の中で数十棟の住宅をつくったが、中間を結ぶ役割であった設計者が最も苦労したのは、実は中間に誰もいないという事実だった。
 ネットワークと呼ばれても、両端だけがあって中間が無い関係を十分に機能させながら維持してゆくのは、大変難しいことだった。
 その結果、運動を維持してゆくのは両端の個人的ボランティアということになってしまう。
 多くのネットワークが似たような状態であったことを考えると、大工塾の大工が現在占めつつある地点は、その頃のネットワークには存在していなかった中間の存在ではないのかということに気がつく。
 日本の木を使って、構造的に解析された構法で、住む人の生活に即した木の住宅をつくりたい、そのための技術はどのような形をとるのか、という大工塾の志向はまさに中間領域の技術を作り出すものではないかと考えられる。中間にいて川上と川下の要求に応えることができる、顔の見える関係性と言われるが、まさに両端から顔の見える位置にいる、これが中間領域にいる大工たちのおもしろい位置である。

地域材の担い手として

 塾生たちは、どの大工も地域の製材所との関係の中で地域材を使うようになってきた。そうしなければ地域材が手に入らない状況ではあるが、確実に地域に木の家をつくるためのネットワークができつつある。
 今後独立する大工が、これらのネットワークに参加したり、新たなネットワークを作ったりと展開することが期待される。

 
実験住宅で他職の話を聞く塾生

 
大工塾実験住宅(東洋大学内)

 
大工塾実験住宅建築現場

 
大工塾実験住宅内部

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